2007年06月12日

こんなことがあってもいいのか?

ここ1ヶ月間はパニックだった。ブログの更新もまったく出来る状態ではなかった。
実は僕の耳がきこえなくなってから、僕とヨメさんは約10年間にわたってある人物を助けてきた。それは金銭面や名義など、様々なことだった。ところが今現在、信じられないような責任を背負わされそうになってしまいそうなのだ。
僕ら夫婦は、この人を助け続けた結果、地獄に落ちてしまった。
今の状況を簡単に言えば、僕らはこの人に現金もかなり貸してきて、返しもらえるどころか、莫大な借金が返ってきそうなのだ。
障害持ちで細々と生活していた僕らだったが、このままではどうすることも出来なくなってきた。
まだ完全に追い込まれていないので、この人が誰なのかは伏せておくが、もうヨメさんが追い込まれて自己破産までの話になってしまっているし僕もそうしたほうが良いといわれている。だからこういう形で、ブログに載せることにしたのだ。
僕らはこの先もっと被害に合うと思うが、そうなったならば僕はこのまま終わる気はない。最終的にはこの人からの10年間のすべての被害を原稿にまとめたいと思う。当然のことだ。恩を仇で返され、そのうえ僕らの家庭がつぶされたのではだまってられるはずがない。
とにかく僕には大切な二人の娘がいるので、まだ終わるわけにはいかない。だから僕は途中までつくっていた「人生から音が消えてゆく・・・」の原稿を仕上げた。それを僕はこの先の生活のために背水の陣で出版するつもりだ。
本当はこのドロドロの10年間の出来事をすべて原稿にまとめ伝えたかったのだが、まさかこれほどの目にあうと思っていなかったので、原稿などは作っていなかったのだ。
だから、これについての原稿もないし時間もないので、もし出版した本が売れて僕らがまだ普通に生活できていたならば、必ずこの悲劇の10年戦争を僕は仕上げる。
僕がまだ終わっていなければ・・・
posted by ちょうちん at 22:46| Comment(34) | TrackBack(6) | 今現在 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

人工骨を入れるだけのはずが・・3

その夜、僕は外出許可も取らずに病院を抜け出し、大阪で仲間と飲み明かした。投げやりになっていたのか、連絡もしないでその日は病院に帰らなかったのだ。

次の日、病室に戻ると師長がすごく怒りながらとんで来た。
「何故連絡しないの!皆どれほど心配したと思ってるの!」
と、かなり怒られたのだ。
なぜかと言うと、僕が前日の説明がショックで落ち込んでいたので、もしかすれば何か遭ったのではないかと、前夜はナースたちも少しパニックだったらしい。
僕は自分の悩みのためにかなり周りに迷惑をかけたようだ。

手術前日。頭を剃り上げられると四年前の記憶がよみがえった。
今回は手術自体ずっと軽いはずだった。しかし、
「腫瘍が全て摘出され、聴力が残っているように」
と、あの時よりも今回のほうが、手術成功を願う気持ちが強く、僕の気持ちは深刻だった。
 
笑える経済はじめました【よしもと笑券】

オトクなグルメ情報ならホットペッパー!

アクセスアップは 【もっとアクセスUP】- もっとアクセスアップ(トラフィックエクスチェンジ型アクセスアップツール) アクセスアップ




【JTB】ユニバーサル・スタジオ・ジャパンへの旅

【JTB】中国地方のおすすめ旅館・ホテル

2007年04月30日

人工骨を入れるだけのはずが・・2

その後の説明では、
「右頭部を開いて、腫瘍が神経に影響がない位置にあった場合は摘出する。しかし、神経を触らなくてはいけないときは、摘出すると失聴の恐れがあるので触れないで頭部を閉め、最後に両側の頭部に人工骨を付ける」
とのことだ。
僕はこのとき、すごいショックで自分の頭の中が混乱していた。だから主治医の話もまともに聴けなかった。
片方しか聞こえない大切な右耳に腫瘍がみつかり、
「とれば、まったく聞こえなくなるかも?」と言われたのだ。

僕は一瞬にして、今まで考えてもいなかった聞こえない世界が頭をよぎった。
とにかく「信じられない」としか言いようがなかった。

僕はその後、悩みながら意味も無く病院の周りを何週も歩き回っていたのを覚えている・・・

笑える経済はじめました【よしもと笑券】

オトクなグルメ情報ならホットペッパー!

posted by ちょうちん at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 9  耳に腫瘍が残ってからの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月21日

人工骨を入れるだけのはずが・・

腫瘍摘出手術から3年以上が経った。
ここまでは運良く骨のない頭部に強い衝撃は受けずにすんでいた。
ところが、仲間の家で遊んでいるときのこと、僕は仲間の子供とじゃれ合っていたのだが、そのとき子供に頭を軽く叩かれたのだ。しかし、これがまともに骨のない場所に命中してしまった。
まだわずか5才のパンチに僕は一瞬、全身が痺れ、意識が跳びそうになった。
痛いとはまた違う、重たいと言えばいいのか、例えにくい痛みだった。「まだ僅か五才の子供の遊びのパンチが、僕にとってはこれほど危険なのか?このままでは取り返しの付かないことになる」と思い、僕は人工の骨を付けるために入院することに決めた。

そして僕は三年ぶりにKN病院に再入院した。
今回は人工骨を付けるだけなので精神的にも楽な気持ちだった。
それに、彼女(現妻)も毎日来てくれていたので前回とはまったく違う状況だった。
それ以外でも、同じ病室に僕と同じ年頃の患者が二人いたので、退屈しなかったのだ。一人は台湾人で、日本語も上手で、しつこいぐらい僕に話してきた。
だから今回は入院生活もそれほど苦にならないし、人工骨を付けて楽に退院できると僕は思っていたのだった。

ところがMRI検査の結果、主治医からの説明で気持ちが一変した。
主治医が言うには、
「検査したところ、反対の右耳の神経に腫瘍が見つかりました。」
と説明されたのだ。

左が全く聞こえなくなってから、一番大切に感じていた右耳に腫瘍ができてしまったのだ。

僕は一瞬すごく寒気を感じ、全身の力が抜けた気がした・・・

posted by ちょうちん at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 9  耳に腫瘍が残ってからの日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月01日

親友の自殺 5

もうどこを訪ねても彼には絶対に会うことができない。
ふざけあうことも、二人だけで盛り上がっていたボクシングのウンチク話も二度とできないのだ。ふと、そう思うと、僕はいてもたってもいらなくなった。

僕は彼のお通夜で小さい子供のように大声で泣き叫んでいた・・

友達の僕ですら信じられないほど辛かったので、彼の家族は想像もできないほどの悲しみだったと思う。
あたりまえのことだが、理由はどうであれ、彼の行いは絶対に大きな過ちだったと思う。

彼の葬式の日には、僕はもう涙も枯れ果てていた。
最後に彼の家族が、棺の中に彼のボクシングシューズと一緒に、彼が小学校からの大ファンだった(故)大場政夫(世界チャンピオンのまま事故死)のサイン色紙を入れているのを見た。
その色紙を見て、僕は彼との幼い頃からを思い出した。
そしてまた涙が吹き返した・・・

(僕は、彼が亡くなってから、命日には毎年彼の両親と会っている。彼の母親は、僕が小学校の頃からよく知っているので、毎年、昔からのことを懐かしがって話してくれる。
時が過ぎ、娘を連れて行ったときは、とても喜んでくれた。
僕が病気で聾者になったときは、とても悲しんで同情していた。
しかし、息子の未来を見ることのできない彼の両親にしてみれば、僕みたいに耳が聞こえなくても、たとえ寝たきりでも、ただ我が子が生きているだけで、親孝行になるのかも知れない・・)


posted by ちょうちん at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 8 退院後の生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。